DVD impressions
DVD『ある闘牛士の死』を観て    遠藤憲丸

 私たちが生きるこの世界には不確かなものだらけだが、二つだけ絶対的なものがある。
「生と死」
 生まれるか否かを今ここに存在している時点で選択することはできず、生まれたからにはやがておとずれる死から逃れることはできない。生と死は常に一体なものとして存在する。
 一人の女の生と死の舞を観て、あらためてそう思った。
 実際にこの目で割鞘憂羅のダンスを観、そしてDVDで再度観たとき、つかえていたものがふいにすっとのどを通っていくような、そんなすがすがしさのようなものを感じずにはいられなかった。
 生の舞台とDVDで観る舞台、二つの対比をすることは自分にとってあまりにも難しい。なぜなら生の舞台を観たときの自分は目の前の光景に魅入ってしまい、ある種のトランス状態のような感覚に包まれてしまったからだ。
 だからここではDVDを観ての率直な思いを書きたい。

*構成*
 時の流れが逆に戻ったりすることにより、断片的な印象を受けた。少女時代の回想シーンを中途にはさむことにより、前後の対比のコントラストを強調しているように感じた。第四景のギターとカンテの場面が舞台全体を抒情詩のごとき趣にしている。
 一景ごとに明確なコンセプトがはっきりと感じられ、一景一景だけをとって観ても単なるパズルのピースではなく、それだけでも強い物語性をひめている。

*演出*
 フラメンコにギター、カンテとスパニッシュな色彩が強いのにもかかわらず、舞台全体に流れる空気に日本的なものをとても感じた。言うなれば「幽玄」というような。
 流れる空気はどこかふわっとしていて夢のようなかんじでさえある。生命の躍動にあふれながらも、幻のような気がした。いくつかの夢が一つのなぞになっているようなイメージで。「はかなさ」のあふれる舞台はスパニッシュでありながらそのような日本の古典文学作品に内在するような「うつろ」さをひめていると思った。

*クローズアップ*
 この踊り手の魅力は、とにかく表情だと思う。舞台2階からではなかなかはっきりと見えないところが見えただけでなく、ストーリーのアクセントにもなっていた。軽快なステップの音が響く中、割鞘の横顔がアップになると背中に衝撃が走る。

*挿入された絵*
 胎内回帰をイメージさせるような絵。やすらぎにみちていて、命を感じさせられた。舞台に挿入された絵たちは、あるイメージを想起させるのに有効的で、これは好き嫌いがわかれるところだと思うが、自分としてはとても良かった。

 最後にまた、この舞台で感じたことを。
 この舞台は正直、今までの自分の舞台観を良い意味でぶちこわしてくれた。圧倒的な力強さで。生きること、そして死ぬこと、死ぬことを受け入れて一秒一秒を生きぬくということ。生き様の舞台であった。
 死は単なるカタルシスではない。それは生きぬいた者だけに与えられるごほうびのようなものではないだろうか。
 この舞台を観終わって、舞台自体は終ったものの、なにかがまだ終っていないような気がしてならなかった。
 なにかが自分の中に根づいた感覚。言いかえればある種の気づき。痛みにも似た。
 一つの作品を通して生きることという根源的なテーマをこれまでリアルに、そして幽玄の趣きで形にしたことに感動を超えたパワーを身をもって感じた。学んだのではなく、感じた。
 この舞台を観せていただいて、ありがとうございます。

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