『夏の庭』・井坂洋子さんの書評


中右史子『夏の庭』(えこし会)は、夏の緑樹の陰のような、ひんやりとした快感を運ぶ詩集である。かつて吉原幸子は「傷口は光る」という新聞記事から、一篇の詩を書いたが、傷口から発想し、傷口を光らせようとする意欲を、この若い書き手は持っている。

「祖母」が「あの人と一緒の墓に入れなさい」という遺言を残したという詩がある。家を出て、愛人と暮らした夫を持つ女の一生が、孫である「私」の目から捉えられている。厳しく凛としたその姿。詩は「私は、この遺言に似ていくことに、決めた」と結ばれている。祖母の遺言が、孫の処世の入り口になるというはっきりした構図や、タイトル「遺言」にナンセンスというルビを振っているところなど、詩人としての覚悟がうかがえるように思う。

「東京新聞」夕刊(2006年8月15日)「詩の月評−心の風邪をひいた時に」より



中右史子という若い詩人は、自分の思いを打ち明けるように書いていて、そこがみずみずしく思われる。

「幼稚園の下駄箱でひそひそと話した子が/死んでしまった夏の日、/西陽が横断歩道で輝く。//母のにぎった手が私をはなさない。//私は忍者ではなく、ゆうれいになりたいと言った。//園庭できゅうにまっくらになって、/うごいている雲の/私は雲の真下にいるのだと分かった。」(「すみれ色のくつ」)

小さい頃の感覚をもとにしている詩ではあるが、こども詩とは違う。大人も抱えている、生きていることの不安感や歓びがダイレクトに伝わってくる。

表現も、連ごとに落差があり、読み手が想像力でもって、自由につなげていける。説明を省き、想像の余白を残すというのは、詩の正統的なあり方で、詩は元来、書き手と読み手の二者で作りあげていくもの。誤読を怖れる必要はないと思う。
「婦人之友」2006年11月号(婦人之友社)「読書のひとときに−詩を読む日」より




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