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心を潤す雨の匂い −中右史子詩集「夏の庭」を読んで |
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大学、就職、そして留学のため、長い間故里から離れて暮らしてきた私に、今はもう忘れてしまった幼い頃の記憶は多い。だが、それが何らかの出来事でまた甦ってくることもある。中右史子さんの詩集『夏の庭』を読んだ時、私にそれがきた。もちろん、「庭」などない遊牧民の家庭で生まれ育った私は、幼い頃に日本式の庭のことを知らなかった。街も、駅も知らなかった。しかし、中右さんの詩を読み、私の記憶の中に甦ってきたものがある。それが雨の匂いだった。 表題作もそうだが、詩集の中に夏の風景を描いた作品が圧倒的に多い。だが、夏には欠かせない雨のことを一言も書いていない。むしろ、「溺れそう」(「夏の庭」)な光に満ちた輝かしい夏の日ばかりが描かれている。しかし、雨の多い日本ではその自然にせよ、文化にせよ、雨を切り離しては語ることが出来ないと思う。梅雨を誇る夏のことはもちろんそうだが、日本人の性格、そして美意識さえも雨の多い風土が生んだ特質な繊細さを持っている。中右さんの詩もそうだ。幼年時代の記憶を淡々と描いているようだが、その奥には、家族や友人、自然や動物に対する深い愛情、或いは切ない思いが、恰も雨のように、重々と彼女の心を濡らし続けている。その「雨」がまた、小雨、通り雨ばかりでなく、時には土砂降りで、長々と続く梅雨さえもあるようだ。 今年の、梅雨が明けたばかりの涼しい夏の夜、中右さんの詩集出版パーティー(8月1日 於:中野テルプシコール)に参加させていただいた時、その「雨」の勢いを、肌で感じた。それは、中右さんの「すみれ色のくつ」の朗読を、詩集を読んで感じたものをダンスで表現した割鞘憂羅さんの踊りと共に鑑賞した時だった。詩人の「言葉」とダンサーの「身体」がその場でまさに一体化し、中右さんの声と憂羅さんの動きには、日溜まりの夏の風景があれば、雷も、風の強い台風もあった。また、この世とあの世の人が風雨の中に交流しているような部分をも感じた。 「幼稚園の下駄箱でひそひそと話した子が/死んでしまった夏の日、」「母のにぎった手が私をはなさない。」(「すみれ色のくつ」)。中右さんの朗読を生で聴いた時、私は思わず涙ぐんだ。彼女の心の中に降り続ける雨が、私の渇いた目にも潤いを与えてくれた。「歩いても歩いても私の足は ねむたい花を踏んでしまう」(「すみれ色のくつ」)。守って、守られて、傷つけて、傷つけられて、幼女は夢と現実の中に成長して行く。 「それはなくならないだろう。/たとえ夏の夜の青竹がさわさわさわさわ鳴き交わしても、/兄が泣く最期の姿はこの下にあり、私は一匹の犬の亡きがらをここに埋めたままでいる。」「月日は流れ、風景はすこしすずしく、それでも緑木はもうもうと生え出ていた。/むき出しの赤土は深い茂りに覆われていた。」「日曜の庭のその土に 私は私の生けにえを埋めたままでいる。」(「日曜の庭−ある一匹の犬の死について」) 幼い頃の私にも同じく死んでしまった犬がいた。それが自然死ではなく、人為的な災いだった。遊び仲間だったその犬を悲しんで私もよく泣いた。「獣」というのが犬なのか、人間なのかと幼い心の中に問いながら。彼女は、彼女の死んだ犬を庭の中の土に埋めた。私は、私の死んだ犬を小さな丘の懐に寝かせた。彼女の犬はやがて雨に導かれ、緑木と共にもうもうと生え出る。私の犬はやがて四季の風になり、草原の草木を撫で揺らす。死と生、悲しみと喜びを、身を以って感じつつ、幼年時期の記憶の彩りは豊富になってゆく。詩を書く心もそこから生まれる。 「私の祖母は、/あの人と一緒の墓に入れなさいとだけ遺言した。」「この人は、せっかく煮込んだ私の苦しみのだいご味も、/味のしないスープのように浅薄だと台無しにする。」「私は、この遺言に似ていくことに、決めた。」(「遺言」) 時々、自分が、「山ほど重く海より深い」(モンゴルのことわざ)と思っていた悩みごとが、一瞬にして、まるで羽根のように軽々しく感じられることがある。個々人の境遇は異なるが、物事の神髄を悟ることは容易ではない。先人から学ぶこと、伝統を敬うことは非常に大切だと思う。「遺言」を読んだ時、大昔から降り続けてきた雨粒に心が洗われるような感じがした。 都市に暮らす人々は本物の雨の匂いを知らない。雨の匂いとは雨だけの匂いではなく、大地に滲み込んだ雨粒が土の匂いを誘いながら醸し出した、雨と土の交じり合った匂いである。コンクリートやアスファルトに覆われた都市ではそういう匂いを感じることができない。夏の短い、雨の少ないモンゴルでは、雨の匂いは天から賜った幸せの匂いそのものである。忘れかけていたその幸せな匂いを、記憶の中に喚起させてくれた中右さんの詩に感動した。中右さんの、これからも土と雨の匂いがした、人の心に潤いを与える作品を書き続けることを心から祈る。 私は、雨が好きだ。雨の匂いがする詩も、好きだ。 |
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平成18年8月18日
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